ただいま出張中 


32.モンガルのツェチュ終了! (スーパーハイテクニック使用)

 

11月12日から3日間に亘って行われたツェチュがやっと終わった。我々が調査のためモンガル来てまもなくから、このツェチュのために坊主達が毎週土曜日の午後踊りの練習をし、10月に入ってからはモンガルの近郡から集められた「歌踊り少女隊」約20名が毎日、土日もなく、ティンプーから呼ばれた先生に歌と踊りを教わって練習し てきた。1日100ニュートラム(250円。日雇い労働者の賃金と同じ)をもらって・・・。10月中旬に入ってからは「道化」を演じる村人達の練習も始まり、我々の部屋の面しているゾンの中庭は騒然とした雰囲気となった。

 

ところで、「地球の歩き方」から抜粋すると、ツェチュとは以下のようなものである。

『チベット系の密教を信奉するブータンの仏教徒にとって、仏教を広めた師僧たちの存在は釈迦と同じくらい重要だ。なかでもヒマラヤ地方に仏教を伝えたパドマ・サンババは、グル・リンポチェ(至宝の師)として今も敬慕されている。彼の布教活動を再現し、その威光を悪霊達に再確認させるために営まれる法要がツェチュである。

ツェチュとは本来「月の10日」を意味している。パドマサンババの生涯の12の重要な宗教的事件は、各月の10日に起こったとされており、ブータンの寺院やゾンはそれぞれ特定の月の10日に年に1度の盛大な法要を営む。通常5日間に亘って行われる法要の最中には、「チャム」と呼ばれる躍動的な 仮面舞踏が僧侶によって演じられる。チャムは悪霊のパワーを封じるための儀式であるとともに、集まった信者に目に見える形で仏法を説く、一種の教訓劇としての意味も持っている。そしてツェチュの最終日には「トンドル」と呼ばれる大仏画が開帳される』

 

さて、モンガルで行われた3日間のツェチュの模様を写真とともにご紹介しましょう。

 

 

坊主演じる「チャム」。この間、一般人は仏塔の入り口に置かれた清水で身を清めるため、我さきにと中庭に駆けつけ、順番を待ちながら異様な興奮状態になっていく。結局途中で列はうち切られ、後から来た者は清水にたどり着くことができなかった。このチャムのために、とにかく半年に亘って一生懸命練習を続けてきたお坊さん達は偉い。坊主にも「踊りの師範代」がちゃんといて、小坊主達にみっちり、厳しく指導する。踊りは基本的に3拍子のシンバル 伴奏で行われる。3拍目が長く強調される。「ちゃん、ちゃん、ちゃ〜〜ん」、こんな感じ。

 

ゾンの外には露店が並ぶ。この屋台(?)はなんと道路を遮って作られている。仮設ベンチに座って、配られた紙に一生懸命チェックを入れてる人たち。この右側ではマイク片手に番号を読み上げるテキ屋のおじさん が・・・。そう、これはビンゴの屋台です。赤丸の中は県事務所のナンバー3の計画官のおっちゃん。県事務所のオフィサーは、毎日朝2時から動員されてヘトヘト状態。昼休みなどの合間をぬって祭りを楽しんでいる。それにしても、ルーレット、輪投げ(直接お金に輪を投げる)、弓矢、ダーツ、さいころ、と出店の半分は「賭け事」屋台だったような気がする。

 

晴れ着姿の歌踊り少女隊。なんか、娘を見ているようで感動した。「よく頑張ったね・・・」こんな感じ。彼女達の歌声を1ヶ月半以上聞き続け、耳にこびりつき、口ずさんでしまうほどだった。 手前のお面をかぶったのが道化師をやっている村人。右手にマイク、左手に魔除けでもある木製の男根を持っている。この道化師、服は雑巾臭いは、へべれけに酔っぱらってるは、金はねだるはで、なかなかお行儀が悪い。ワイヤレスマイクを持って女の子の歌をスピーカーに流しているのはいいが、そのうち胸元にマイクを差し込んで歌声を流そうとしたりする。

こらっ!

 

 

 

 

 

ツェチュも終わった昨日(15日)の深夜11時半ころ、トイレに行こうと外に出たら、なんか彼女たちの歌声が聞こえるような・・・。「おかしいなぁ、ツェチュは昨日で終わったのに・・。錯覚かぁ?」と思って、声の方向に歩いていくと、なんと、ゲストハウスの下にシートを貼って坊主が打ち上げをやっていて、彼女たちがその前で踊らされていた。 可哀想に・・。ま、楽しそうだったけど・・。しかも、音頭を取っていたのが県の教育官と財務官だもんな。

 

今朝、ゾンの中庭でマニ車を回す数人の少女隊がいた。きれいな服を着て、やっと1ヶ月半ぶりに親元に帰られるんだな。お疲れさん。

 

中庭に面した2階の一角に設けられた貴賓席。一番手前から、判事の母親、判事の奥さん、知事、師僧、判事・・・・、とつづく。

実は私はツェチュの期間ずっと自室で仕事をしようと思っていたのだが、毎朝副知事から「お昼ごはんに招待するから来て!」と何度も電話がかかり、しまいには迎えまで来て仕事にならず、毎日昼食時には貴賓席に 座って「辛〜い」ブータン飯を食べていた。この日は午後4時半頃になって知事から呼ばれ、「デジカメのメモリ一杯になっちゃったんだけど、どうやってパソコンにコピーするんだったけ?」、と聞かれた。そのときに 今度は、「甘〜い」ケーキを二つも食べさせられて、この晩下痢に見舞われた。

 

この日は私も正装(民族衣装のゴにカムニと呼ばれるスカーフ)で参上した。「スマートだ」と言われて悦に入っていたが、皆の着ているゴはシルクの高級品ばかり・・。私の木綿の吊しのゴとは訳が違う。見かねたゲストハウスのマネジャーのケザン氏が、「私の新しい手織りのゴがあるから、明日はそれを着ていったらいいよ」と言ってくれたのだが、次の日私はひどい下痢と発熱でそれどころではなかった。

いやはや、本当にツェチュは素晴らしいが、「気力と体力」が充実してないと3日間は持ちませんな。もっとも、昼食後中庭に面した事務所で、あの喧噪のなか仕事をした私たちの集中力はかなり「誇れる」ものだと思うのだが・・。

 

(スーパーハイテクニック使用写真)

 

14日の朝、ゲストハウスのマネジャーに、「9時半でトンドル仕舞っちゃうよ、見に行った方がいいよ」と促され、下痢と悪寒をおしてやっとの思いでゾンに行き撮ったトンドル。

ビデオカメラで、ものの5分も撮るか撮らぬかのうちに戻ってきて、寝込んだ。

 

さて、なにがスーパーハイテクニックかといって、この日私はデジカメを持っていなかったんですね。ルンチの現場調査に出かけたローカルスタッフに貸してしまったのです。

「もう一台持ってるはずだろう?」という人もいるかと思うのですが、確かに2台あった(「私のモバイルグッズNo.20、No.21参照)うちの1台は、ルンチでキムタクの写真を撮り終えた瞬間に壊れてしまい、現在日本でオプティカル基盤交換中なのです。

そして、この写真はソニーのデジタルビデオカメラDCR-PC100(「私のモバイルグッズNo.1参照)で撮ったものなのです。しかも、メモリスティックでの静止画ではないのです。動画なのです。中庭は狭く、広角側でもワンショットでは撮れず、ビデオカメラで上から下まで写し、その動画(上下2枚)をパソコンでキャプチャーし、ソニーのピクチャーギアのパノラマ写真作成で縦合成したのが左の写真。これをデジタルフォトプリンタ「私のモバイルグッズNo.22参照)で印刷しても立派なものです。

ちなみに一番上のチャムの踊り、夜中の踊り子の写真も動画からのキャプチャー画像です。

 

2002年11月16日

 

 

戻る